脳神経外科医のがん闘病記 寛解までの記録
2017年11月
尿管がん
多発転移から5年目に入った。
抗がん剤治療を休薬し2年、
生きている証として、
闘病記を出版した。
● ステージ4から寛解をもらうまでの要約
私は、自分が病気になる前から、抗がん剤治療の矛盾に気付いていた。がんで死ぬより、抗がん剤の副作用によって殺されたと思われる多くのケースを見てきたからだ。 特に70歳以上の高齢者に処方される抗がん剤の標準治療は、副作用が薬効を上回っているケースが多いように思う。そもそも抗がん剤の効果の有無を調べる治験は、18歳~70歳の若い層を対象に行われてきた。ところが、今や全てのがん患者の6割が70歳以上と言われている。したがって、70歳以下の標準治療を70歳以上に適用するのはどだい無理がある。私は、高齢者には標準治療の量を減らして処方するのが常識と思っている。実際私は標準治療量を受けたばかりに抗がん剤による腎障害で血液中のナトリウム(塩分)が腎臓から漏れる低ナトリウム症(意欲低下、食欲低下、不整脈、ふらつき、さらには意識障害)になった。減塩から断塩のゲルソン食をしている私には塩分調整の難しい生活になった。多発転移のステージ4から寛解に至る道のりはきつかった。
1. 睡眠
9時就寝による睡眠を確保した。良質の睡眠は、腸の免疫を元気にする力がある。睡眠不足はリンパ球を減らし免疫力を落とす。睡眠不足による免疫力低下は睡眠薬の副作用より大きい。
2. 筋肉を鍛える、骨を鍛える
毎日ラジオ体操と1時間のウォーキング。歩けば着地の重力効果を受け骨は丈夫になる。腸腰筋は大腿骨の頚部に付着しているから歩けば腸腰筋は鍛えられ腰痛は消失、排便良好、睡眠の質も良くなる。いいことだらけだ。最近の研究では、骨と筋肉からがんの増殖を抑えるメッセージ物質が出ていることが証明されつつある。
3. ゲルソン断塩食療法
搾りたての野菜ジュースを毎日2L飲んだ(ニンジン2㎏、野菜2~3kg)。牛乳、バター、卵、肉など二足動物、四足動物のたんぱく質を絶ち、イカの刺身とししゃもに限定した。そして低ナトリウム血症を是正するギリギリの塩分摂取に抑え癌の住みにくい体質に向け努力した。正式ゲルソンは厳しすぎてできなかったが実行可能な簡易ゲルソンを考え出し頑張った。妥協した簡易ゲルソンでも効果を実感した。
4. リンパ球を維持する
抗がん剤治療中、白血球に含まれるリンパ球(免疫力)を1000個以上に保った。治療中リンパ球が1000個以下に低迷すると抗がん剤の延期または減量を主治医にお願いした。しんどい時は予定の抗がん剤点滴を休んだこともある。
5. 低用量の抗がん剤
私が選んだのは標準治療の半分量以下の低用量抗がん剤治療だった。しかも、古くて安い薬ばかりで新薬ではなかった。抗がん剤は患者のがん種の特性にマッチしないと高額な新薬でも効かないのだ。最近はがんの遺伝子検査でどのがんにどの抗がん剤が効くか適性を探す時代となった。
6. これから
医師仲間から今生きていることが不思議だと言われるほど悪性度の高い尿管がんだから治りきることはあるまい。大学病院、がんセンターだからとまるごと信用してはいけない。診断まではよいが、治療法については他の医師にも相談し、自分も勉強し、自分が納得する治療選択をすべきである。これからも情報収集し、このブログを通して伝えていきたい。
2013年5月
手術で摘出した腫瘍の病理検査の組織像は『上皮がん・腺がん・肉腫様』の入り混じった超悪性尿管がんだった。この説明を受けた時、頭の中は恐怖で真っ白、これでは助かる道はない、終わりと思った。
2013年8月
余命1年の告知を受けたときの胸腹部CT検査所見は、
①右腸骨稜の矢印部に骨が溶け空洞に見える2.5cm大の骨転移(+)
②右上葉6mm大の小結節は3週間前に比べ増大し肺転移疑い(+) ⇒ 肺転移(+)
③腹部大動脈周囲に15mm大複数のリンパ節転移(+)
④その他胸腹部大動脈周辺に怪しい複数の腫大リンパ節(+)
● ステージ4からの出発 患者として、医師としての葛藤
2010年6月、アップダウンの強い往復40kmのサイクリングに挑戦した。祝杯のビールの後、トイレで真っ赤な血尿にびっくりした。慌てて受けた検査結果で尿管がんと診断。早めの手術と抗がん剤による化学療法を勧められた。妻の7回忌を済ませた直後の発病であった。三度の食事にすら大変な独居老人にとって、がんと戦えるのか、疑問と不安がいっぱい。結局のところ、71歳の自分は無治療を選択した。医師仲間から、君はどうかしていると叱責されたが、自分の選択の間違っていることを認めつつ、生きたくないパワーのまま時間が経ち、リンパ節転移が始まった。
2013年5月、大学病院で右腎臓、右尿管、一部膀胱の摘出手術、腸骨リンパ節の郭清手術を受けた。
2013年6月、随分迷ったが術後の抗がん剤治療を受けることにした。1回目の3種類の抗がん剤GCP治療は受けたがあまりにしんどくギブアップした。2回目の点滴治療は受けず自己判断で退院した。
2013年8月、骨転移、腸骨リンパ節転移、肺転移疑い、親しい内科医から余命1年の告知を受けた。
2013年9月、主治医のいない不安な日々であったが友人の紹介で新しい主治医(呉共済病院)との出会いを得た。
・放射線治療2回
・抗がん剤治療25ヶ月
2016年2月、新しい主治医のもと、2年半の闘病を経て、とりあえずの寛解をもらった。
闘病中、がんに「がんこちゃん」の愛称を付けた。
予期せぬ出会い
突然の血尿
寝ても覚めても
私の心を占拠し
心の苦しみ
体の苦しみまで
私を虜にした
どうしようもない出会い
しかし君は私の一部
5年の葛藤が過ぎ
今君はどこにいる
不気味な寛解
2016.2月
◆ ◆ ◆
2018年1月
寛解をもらって2年、ブログを公開した
再発の心配、不安は強いが、「憂き世を浮き世にして面白おかしく生きなきゃ損々」こんな小唄が江戸時代にある。難しく考え難しく生きるとしんどいばかり、、、生きている間は小唄のように、これからの人生を楽しみたい。約2年休んでいたブログを公開したのはがん治療の原則は病気を隠さず、広く情報を入手したいからだ。私はいずれ来るだろう再発に備え免疫治療への道を探っている。
2022年令和4年ブログ
2022年治療計画 丸山ワクチン・BCG膀胱注入併用療法
2022年3月29日 PET検査を受けた
9年前の3月に初めてPET検査を受けて以来、今回11回目となった。幸いFDGの異常集積はどこにも見られなかった。医師は、かつて肺転移していた右上葉に結節状陰影が3個見られることを再発ではと気にしていた。私は、この結節はBCG膀注療法・丸山ワクチンの影響と思っている。BCGは肺を好み、感染源を結節化する作用が知られている。大田記念病院放射線科小林医師に画像を見てもらったところ、感染後変化との診断であった。
これはPET-CT検査の画像。
下の画像:主治医が気にしている膀胱壁は大丈夫だった。
9回目の桜
余命告知から9回目の生家の桜を見ることができた。来春10回目の桜を見れれば大願成就となる。
私はケリーターナーの ″ガンが自然に治る生き方” に沿って生きたいと思っている。そのため偶数月は石垣島で自然と共に生活している。
2022年5月
体調はすこぶる良好、この春から偶数月は石垣島、奇数月は福山で診療している。体調の良い原因は免疫力が高まっているからと思っている。2019年から始めたBCG膀胱注入治療と丸山ワクチンから約3年、免疫の指標であるリンパ球数をグラフにしてみた。ほぼ安定的に2000個以上保っている。
BCG膀胱注入療法24回以上
外来診療をしながら5月16日と23日に24回目と25回目のBCG膀胱注入療法を行った。排尿痛、頻尿、夜間睡眠困難は毎度のことで慣れているとはいえ辛いものがある。再開して1年になるゴルフは先日54,52と100を切りそうなスコアに上達している。
私の上に4人の姉がいたため5人目は男の子を授けてほしいと祖母は近くの青江八幡宮にお百度参りをした。3回目の終わりに鳥居の上に白装束の大男が現れ、次は男の子を授けてやるぞとご神託をいただいたそうだ。久しぶりにご縁のある八幡宮にお参りし今日ある幸せを報告した。
老人の性 エイジシュートへの挑戦
食はこの8年間人参ジュースと野菜ジュースを日に5回1500cc飲んでいる。ウォーキングは欠かさず毎日5500歩、睡眠は8~9時間、生命維持装置である筋肉量維持に努め体組成は実年齢より15歳若い68歳を維持している。そのおかげか、この10年間性欲の衰えはなく息子に話しても笑われてしまう。知り合いの寡婦にお願いして3泊4日の旅をした。魅力的な女性だったおかげで3日間でエイジシュートを達成することができた。私の死後この自慢話を息子にしてほしいとお願いしたところ、微笑みを持って約束してくれた。
2022年6月 石垣島は夏本番
ナウパカの群生林が続くビーチには時に若者がビーチ結婚式にやってくる。ドローンを飛ばし自作自演の記念写真を撮っている姿は微笑ましい。内地と違ってサンゴでできた砂浜は白く輝いて美しい。真っ黒に日焼けした娘さんが黙々と一人ビーチアートに取り組んでいる。手持ちの貝を提供し制作に協力した。25歳とは若い、いい出会いを願ってか、、彼女は2と5の終わりに貝を置いた。
ゼログラビティーを楽しむ
2013年無重力空間ゼログラビティーというSF映画があった。ゼログラビティーなる椅子も売り出され愛用している。入浴介護の際の安全のための首浮き輪がある。この首浮き輪をつけ手軽にゼログラビティーを楽しんでいる。青空に流れる雲を見ながら胸一杯空気を吸い込んでゆっくりと吐くサムサーラをしている。泳ぐもよし浮遊もよし石垣島は夏本番。
私のがん相談
がん治療の相談に遠方から夫婦そろってお出でになることが多い。私が強調するのは、がんを殺傷する主役は自己免疫のリンパ球であって、抗がん剤はあくまで脇役であることを繰り返し説明している。昨今のがん治療は抗がん剤が主役であり、本来主役であるべきリンパ球は脇役に追いやられ、ほとんど無視されていることが多い。リンパ節転移程度のステージの低い場合は体力も残っており大事には至らないが、体重減少の始まったステージ3、ましてやステージ4とがんの勢いが強い進行がんの状態で主役のリンパ球が無視されると助かる命も失われることになる。私がステージ4から助かった秘密は、抗がん剤治療中の2013年6月から2015年7月までリンパ球1000個以上、平均的に1500個前後を維持したことにあると確信している(進行がんステージ4でも怖くない 125ページ)。
2022年9月12日 26回目のBCG膀胱注入療法
7月1日~9月30日までの90日間を暑さの最中診療に没頭した。理由を問われると困るが、まれにみる体調の良さが診療意欲を掻き立てた。10年間休んでいたゴルフ再開1年を記念し、この間炎天下のゴルフに挑戦し18ホール休みなしのスルーでプレーした。スコアは100を切れなかったがパーを7つひらう快挙であった。スコアカードは私の50年記念板の最上位にピン止めした。この間9月12日、第26回BCG膀胱注入療法を受けた。いつも通り東京株40㎎を入れてもらい60分間体位変換を行い排尿した。慣れたはずの治療だが、今回は酷くて3日夜間も頻尿でほとんど寝れなかった。そうでなくても感情コントロールの下手な自分だからスタッフや患者さんに迷惑をかけたかもしれない。元に戻るまで3週間かかった。かつてない悪い記録となった。
10月1日、3ヶ月ぶりの石垣島、別荘は見事に草に囲まれていた。生い茂った雑草は下が砂地だから両手で引き抜くのが最も効率的。ほぼ一日で白い砂地に戻った。台風14号による風と雷と停電の影響でパソコンSkypeが不通となり、ほぼ半日初期設定から苦戦した。今日も快晴、サンゴ礁に囲まれた内海は穏やかで暖かく温水プールで泳ぐより快適だ。介護用首浮き輪を着け、大の字になって雲の流れを見ながらゼログラビティ(無重力の世界)を楽しんでいる。オムロン体組成体重計ではBMIは25.4、筋肉量29%、年齢68歳。
2022年11月7日
7回目の年男を迎えた。これからの時間は付録も付録、拾い物と思っている。心機一転し診療時間を増やし午後も働くことにした。
おかげさまで2023年2月20日27回目のBCG膀胱注入療法を行い、これをもって表在性膀胱がん及び膀胱上皮内がんの初期治療であるLamm法を完全達成した。
Lamm法を達成したからといって、再発がないわけではない。今後4~6ヶ月おきに膀胱内視鏡検査TUSは必要だと思っている。いずれにせよ、2023年4月17日坂出聖マルチン病院西先生によるTUSでは再発は見られないとのことであった。これで発症から4年6ヶ月で一応の治療を終了した。ただし、念のため4ヶ月に1回BCG膀胱注入療法を続ける予定にしている。
これをもってブログを終了し、以降はナウパ化の宿ホームページに移行する。
◆◆
先生には、怪我の後遺障害による睡眠障害でクリニックへ駈け込んで以来長きにわたり大変お世話になり、また膀胱がんの先輩としてのアドバイスや専門医への紹介をいただき大変ありがとうございました。診察室での先生のお顔を拝見し、声を聴かせていただくことで自分もまだまだ頑張らないといけないと薬以上のやる気パワーをいただいておりました。おかげさまで当初の頃から比べると格段に元気になりました。本当にありがとうございました。
2022年12月 M.H.
読後感 Y.O
カタカナと医学的な専門用語に戸惑いながらも心に響く『進行癌ステージ4でも怖くない』を梅雨さなかのある日読了しました。2010年6月尿管癌の発病から過酷な余命告知に耐え2015年9月の寛解宣言に至るまでの闘病記です。闘病の苦難と混迷、余命1年の告知を乗り越えての10年後の今日がある、著者の歩みに感動しました。癌闘病にとって大切な実行や医学的な配慮を解く記述を読みながら私が一番感銘したのは行間ににじみ出ている人としての生きざま、情念、感懐の語りです。心打たれることしばしばでした。人生に偶然はない、全てが必然である、人生に確かなものはない、全てが不確実である、自分を勇気づけるものは自分に向かって励ます言葉に勝るものはない、人は幸せを未来に見ようとしかしない、過去の幸せを忘れ今の幸せに気が付かない、幸せとは何だろう。エベレスト登頂に成功した後、下山中の事故で突然逝去された奥様への心情、、君が生きているうちにありがとうの気持ちをうまく伝えられなかったなどの述懐は本書が病克服の単なる闘病記ではなく人生真実の背骨のような吐露として私たちの胸を打ちます。本書には何人かの癌発病された生涯の友との交流が語られています。偶然とは思いますが私と同じ食道がんの方がおられました。残念ながら懸命な加療むなしく逝去されています。私はその方の無念さを背負いながら前途ある踏ん張りを大切にしたいと思っています。心と体が元気になると生きると言うことがこんなに楽しいことなんだと闘病を通して改めて知ったとの著者の思いを私も体験できるよう、そして今からでも遅くはない、心が折れそうなときに励ましてくれる人に恵まれますように、、毎日を闊歩していきたい。
読後感の締めに私の座右の章句をつぶやきます。『絶望が虚妄なること 希望も相同じ』 2020.7.15
書籍内では,
低用量化学療法(=少量抗がん剤治療)を自らの治療に
導入されたことを書かれています.
特に146頁〜152頁の
低用量化学療法に対する考察は「正鵠を射ている」と
感じるところです.是非,お読み下さい.
日本国内の全く異なる刻と場所で,
抗がん剤の少量使用に対して同様の見解を
共有できる医師がいらっしゃるという事実は,
とても勇気づけられることでした.
また,以下のページも合わせてお読み下さい.
#2の方へ:メイル拝見しました。期待のフェンベンダゾールは日本では医薬品として承認されていません。私は薬効にほとんど差のないメベンダゾールを勧めています。メベンダゾール治療については明神館無料相談ホットラインをご利用ください。他の薬との併用注意はありますが併用禁忌はありません。フェンベンダゾールに関する問い合わせが増えているため対応が間に合わない状態です。2019.7.31
松茸屋さんです (金曜日, 18 10月 2019 12:50)
神経膠腫(こうしゅ)(グリオーマ)の松茸屋です
先生がこのような素晴らしい取り組みをされていることを 知ってしまい
感激してしまいました。
本日厚生労働所医薬生活衛生局に電話いたしてG47Δの事で
第一三共に聞いていただける所まで、話を持っていきました
いつ頃申請が出るかは答えられない可能性がありますが
先駆け審査指定を取っている薬品ですので
率先してお話いたしますと 答えをいただき
更生労働大臣に話をしていただけるであろう所までは
お話いたしました。
明日 先生に詳しくお話いたします
TADA (金曜日, 13 9月 2019 16:23)
先生の文脈ではないように思えるのですが、誰が投稿しているのでしょうか?
先生の見解ということで、お間違えありませんか?
また、このブログはいつから初められているのでしょうか?
過去の闘病体験も記載されていますが、ネットを検索してみたところ
2010~2017年には公開されていないように思えます。
KYOKO (木曜日, 13 6月 2019 21:36)
初めて拝見します。フェンベンダゾールに興味を持ち検索するうちにたどり着きました。
この駆虫薬は、他の薬との併用に禁忌はないのでしょうか。
ステージ4で再燃性前立腺がんの父に時間がなく、イクスタンジというホルモン剤と併用してもいいのか気になって調べています。奇跡が起こることを願っています。
lié M (水曜日, 24 10月 2018 09:02)
こんにちは。
先生に、8月から診ていただいているものです。
9月の受診時に、先生は少しシンドそうでしたので、実は心配していました。(といっても、お会いするのは未だ2度目ですが・・)
ほぼ元の生活に戻られたこと、ホッとしました。流石大田先生^^
先生も放松、私も放松をこころがけます。
ファンソンを鼻母音で発音すると、まるでフランス語みたいです。