2021年令和3年ブログ
2019年の治療経過
2019年は真摯に膀胱癌と向き合って治療した1年となった。BCG膀注療法と丸山ワクチン療法を始めた記念すべき、しんどくもあり充実感のある1年だった。
2019年①1月内視鏡による膀胱癌切除術(大きな手術)、②3月内視鏡による膀胱癌切除術(小さな手術)、③5月BCG膀注療法開始、④10月丸山ワクチン療法開始、⑤10月内視鏡による膀胱癌切除術(小さな手術)、⑥2020年1月内視鏡による膀胱癌切除術(大きな手術)
2021年1月 新年を石垣島で過ごす
年頭所感 鞆の浦の仙人になりたい
解き放たれた時を楽しんでいる
歳の実感はない
心身ともに充ち満ちた感じだ
人間の尊厳とは自立だと悟る
古来、性は灰になるまでと言うが
その通りだと思う そして
性の尊厳も自立と知る
人生は苦笑い人生だと悟る
力んでもムキになっても無駄と知る
飄々と生きる仙人まであと数歩
時々雲上から白い素股に落ちる
これぞ人生の極意 後悔いと知る
心身ともに充ち満ちており
歳の実感なく
ポキッと大往生の予感あり
そして
すべてと別れ無に帰するなり
2021年2月 定期の膀胱内視鏡検査を受けた
幸いにも1年間再発を見なかったのだが、、
2021年2月の膀胱内視鏡検査で1ヶ所再発疑いあり。
主治医は首をかしげながらも5月まで経過観察となった。
2020年11月の画像 問題なし
2021年2月の画像 発赤部位の増大あり
次回検査5月となる。
当日の尿細胞診
膀胱壁から剥がれ落ちた細胞を染色した写真
人の命を脅かす癌細胞疑いだが顕微鏡写真では神秘的で美しい。
3年かけて育てたストレリチア
美しさに大満足
久しぶりに実家の囲炉裏を炊いた。
2021年3月 BCG膀注療法18回達成
2月15日16回、22日17回、3月22日18回 BCG膀胱注入療法を受けた。いつもながら1回目は軽いが2回、3回目と排尿痛、頻尿はひどくなる。慣れたとはいえ難行苦行と言えよう。30回まで残すは12回となった。
11年ぶりにマツダロードスターを赤から白に変えた。
以前との進化はバックモニターがついただけ。シンプルマニュアル車、クラッチを踏み込んでチェンジを変えるたびに躍動を感じる。調子に乗って熊ケ峰スカイラインを走っていると、突如画面に優しくアクセルを踏んでねと出た。これにはビックリ。
2021年4月 8年ぶりのゴルフ
あっという間の1月、2月、3月、気が付けば4月、陽気に誘われ発病以来8年ぶりに三次にゴルフに行ってきた。桜は超満開、27ホールのコースにわずか8組、前にも後ろにも人影なく素晴らしい景観を堪能した。
3日前、ステージ4の方が相談に来られた。緩和を告知されたが、まだ歳も若く元気な男性だった。私自身ステージ4から立ち直り約8年の癌サバイバーとしての助言をさせてもらった。人間死ぬ気になれば何でもできる。まずは断塩、主食は全粒粉のオートミール、そして野菜ジュースを日に1L以上からスタート。確かなのは丸山ワクチンの自己注射、さっそく手続きを始めることにした。
もがり笛
火宅の人で知られる檀一雄も肺がん治療にBCGと放射線治療を受けていた。
自由奔放に生きた作家檀一雄(壇ふみの父親)は、火宅の人恵子(入江杏子)との二重生活の末に、人生は酔い痴れの妄想を広げた熱狂と寂寞の彼方に”もがり笛、いく夜もがらせ花に逢はん”と詠んで63歳の生涯を終えている。火宅最終章において吐露した言葉は私の心に響いた。
写真は丸山ワクチンセット
送られてくる交互に打つワクチンAとB、ディスポの注射器、針、アルコール綿。打ち方を2,3回教えてあげると皆さん自宅で自己注射(皮下注)。
2021年5月
5月17日、3ヶ月ごとの膀胱内視鏡定期検査を受けた。
前回2月の検査で再発疑いの箇所を中心に膀胱内視鏡検査を受ける。疑い部の膨隆は消失していたが、周囲に発赤と新生血管が見られた。主治医は首をかしげながら、前回と同様に念のため生検(一部取って顕微鏡で調べる)してみますかね、、⁉と歯切れが悪い。私の見た目は生の結核菌を入れるBCG膀胱注入療法後の炎症反応も加味しているようで、それほど悪い顔には見えない。とりあえず今月予定しているBCG膀胱注入療法と膀胱MRI検査を受けてから、いつ生検をするか決めたいと思っている。
体調はすごく良い。癌はいても静かにしていてくれたらよい。高齢者なのでできるだけ負担のある検査治療を避けながら穏やかにいきたいと思っている。
2021.5.17 聖マルチン病院提供
5月31日から19回目のBCG膀胱注入療法を行っている。この結核菌によるBCG療法は道半ばを超えたので、これから先気長に継続できるよう負担の軽いLamm法に基づく治療計画を立てた。この計画ではLamm法6ヶ月ごと3回のBCGを今後は5ヶ月ごと2回のBCGに変更するものだ。
2021年6月 納得のいく生きざまを総括したい
妻を失って7年、がんと闘って10年の歳月が流れた。妻の命日に産まれた孫は17歳、人柄もよく学年トップの成績と聞く、生まれ変わりのようだ。ただ、私の世代とは様変わり、苦難に立ち向かうガッツをどれほど持っているのか、立派な男になるだろうかといらぬ心配をしている。
男の自我道とは
奪われた物は必ず自分の元へ帰ってくる。
奪った物は必ず自分の元を去っていく。
もらった物は必ず消えていく。
男の手に残るのは自ら汗💦した物だけ。
私の幼少期は戦前戦後の混乱期、敗戦前後の飢えと寒さと朝鮮人との確執の中に育った。警察は機能せず、食べるすべ、身を守るすべを本能的に身にまとったちょい悪の少年だった。進駐軍とパンパンに囲まれ、片言英語をしゃべっていた。今は平和すぎる時代、ソウルのミョンジ病院との姉妹縁組から在日の人たちとも親しく交流している。私の心配はやわくて小綺麗になり、セクハラパワハラにびくつく日本男子だ。今の男は女とは何かを知らなさすぎる。男はシンプルで夢とロマンを持つが、出産、子育てをする女は本能的、必然的に複雑でお金と安定を志向する。女を知らずして結婚すれば、忍耐と苦痛の先に破局を見る。私の最終章は男の子を元気にすることと、自分の人生ちょい悪で締めくくりたいことだ。ところが、ままならぬは人生、私の外来に私を頼ってくるのは圧倒的に女性が多い。軟弱な男の子たちを救いたいと朝起きられない子供たちという小冊子を9月に出版を予定している。
がん友からの手紙
Y.Kさんより
2021年6月14日 BCG20回達成
先月31日のBCGが結構堪えたので1週間の間隔を2週間に延ばして、今日は遥か先のことと思っていた20回目のBCG膀胱注入を受けた。注入から排尿までの時間を前回の半分の35分に短縮した。しんどさを軽減し細く長く治療を目標にしているからだ。Lamm法3年間(BCG27回)を達成した患者さんの割合は100人中16人、たったの16%の低さ!体験者としてさもありなんと思う。
コロナ騒動の真実
日本は、コロナ感染の有無を調べるPCR検査の実施率が先進国では最下位グループ。そしてPCRの代わりとして行った抗体検査は新型コロナに特異的な抗体検査ではない、いわばいい加減な検査。本物の抗体検査は新型コロナウイルスの表面にあるスパイクSタンパクに対する中和抗体検査(自費3,000円)なのだ。このようないい加減な対応が繰り返されてきた。国民の知らないその根本的な原因は何か?答えは意外なところにある。国民の健康を守る、すなわち公衆衛生は全国にある保健所が担当している。この保健所、実はかつての郵便局に似て、名前は立派だが中身はボロボロ、知る人ぞ知る落ちぶれぶり。郵便局よりクロネコヤマトの評価が高いように、保健所より市民病院や公益の民間病院のほうが機能するはず。国のメンツを優先したばかりに後手後手に陥っている。
2021年7月 小太りの人が長生き BMI25~26.9
10年前の研究だが(Journal of Epidemiology 2011年21巻)、日本人のBMIと死亡リスクの関係に関する35万人以上の前向き追跡データをまとめた報告が出ている。男と女は若干異なるが、BMI21以下の痩せ形は死亡率が上昇し、BMI19未満の見るからに痩せた人の死亡率は急上昇する。
2021年8月
30日に入院した。朝病院玄関脇でPCR検査を受け2時間車内で待機、陰性と判明し入院となる。腰椎麻酔下に膀胱内視鏡の手術画面を見ながら説明を受けた。嬉しかったことは以前に比べると膀胱内は随分ときれいになっていた。今回も顕微鏡で調べるため、腫瘍疑い周辺3ヶ所、他6ヶ所、計9ヶ所の膀胱壁を小さな道具で採取した。写真の赤い場所が病変部、この場所を円形の電気メスで切除した。手術時間は約1時間、病室に戻って2時間で足のシビレがなくなり動くようになった。いつもながらの点滴と尿道から膀胱へ太いカテーテルにつながれ、その夜はトイレに行く必要はないものの、寝返りの打てないしんどさは結構きついものがある。翌日の朝回診の際、膀胱カテーテルを抜去してくれた。これは思いがけないサプライズとなった。カテーテル抜去後の排尿は自己責任のため、夜は7時半、10時、12時半、3時、4時半、5時半と排尿した。尿が溜まり膀胱が膨らむと止血部位の安静が保たれず術後出血の危険が増すからだ。
今日は9月1日、排尿痛は軽くなり血尿はなく順調との診断で、明日午後から退院となった。
2021年9月4日 3年の治療、自己判断で寛解とする
8月30日の手術と生検の結果が今朝届いた。予想通り、病変部を含め他の生検箇所も全て癌は陰性だった。
BCG治療を始め2年、丸山ワクチンを始め2年弱、この1年8か月は再発を見ない。発見から3年で難治性と言われている膀胱上皮内癌は検査では活動期の癌は見られない、自分的には寛解と感じている。光畑、西両医師、そして関係者には大変お世話になった。
令和の浦島太郎
あしかけ9年に及ぶ闘病をへて
私は寛解を手にした。長いトンネルを出たところには、意外にも感激はなく、そこには安堵と老いがあった。昭和に生まれた男は令和の浦島太郎になっていた。
2010年6月血尿から尿管癌を発病、治療を放置し2012年8月異様な腰痛から癌の転移を疑ったが又も放置した。今振り返ってみると、当時の生きたくないパワーには驚き呆れる。反面あそこまで開きなおった自分に愛おしさと親しみを感じる。今日は9月最初の月曜日、これから頑張るぞの意味で少し張り切って朝ご飯を作った。果物は自作のイチジク。
2021年9月27日 BCG21回
朝9時、弱毒化した東京株BCGイムノブラダー膀注用40㎎を生理食塩水100ccで希釈して膀胱に入れてもらった。結核菌がまんべんなく膀胱壁に付着するよう10分おきに体を90度回転させた。無理をせず9時45分に排尿した。11時半鎮痛薬としてボルタレン座薬25㎎を入れたおかげで排尿痛は軽くて楽だった。19時半、入浴時にボルタレン座薬25㎎を追加した。21時消灯、23時、0時半、2時、3時半と4回排尿、5時半排尿起床した。夜間の排尿困難にはいつもながら難渋する。不思議なことに、布団に戻ればすぐに寝れるので朝寝不足感はあまり感じなかった。いつも通り朝食を作って7時半に歩いて出勤した。
2021年12月 あっという間の一年
この一年体調に恵まれ充実した日々を送ることができた。自分的には膀胱癌は寛解したと確信している。本来なら12月BCGの月だが体調は良いので来年に繰り越しとした。胸腹部の検査も来年に繰り越した。この一年外来診療を縮小しながらも継続できたことはとても嬉しい。
2021年1月~12月の治療